当院の理念・沿革
秩父病院の理念
職員心得
- 地域の中核病院であるとの認識を持つこと
- 患者さんに対し、常に自分の家族に対するつもりで当たること
- 患者さんとのふれあいを多くもち、訴えに真剣に耳を傾け、注意力、集中力を欠かさず慎重に対処すること
- 患者さんの立場に立って考え行動し、常に「思いやりの心」を忘れないこと
- 患者さんを断らないこと
- 地域医療において、可能な限り当地域内で対処することが最良であるという認識をもつこと
- 医療連携が重要であり、必要に応じて他医との相互援助、協力、紹介を積極的に行うこと
- 自己及び病院の能力向上には貪欲でありつづけること
- 診療においては各部署、各科の縦割りではなく、あくまで患者さんを中心とした円であること
- 医の倫理、医療人としての自負と自覚、社会的責任を認識し、常に自己を磨き、地域医療に貢献しようという気概を持つこと
平成10年4月1日 制定
平成13年4月1日 改訂
沿革
当院は明治20年に開設されました。この時の県の衛生課長の祝辞が残っております。
当時の写真を見ますと、銀行等の代理店の表示があり、その当時は様々な役割を負っていた半公的機関であったようであります。
初代院長は橋本章英先生、2代目は橋本章達先生でありました。
ところが、2代目の章達先生がご病気になられ、急遽、私の父(花輪吉夫)が所属していた新潟医大の整形外科の主任教授に助けを求めました。
その結果、父に白羽の矢が立ったのです。当時の教授は絶対的な権力を持っていました。ほとんど、強制的に父の秩父への派遣が決まったとのことです。
昭和12年10月のことでありました。
その後、父は戦争に2度召集され、様々な経緯を経て、結果的に父が3代目院長として秩父病院を継承する事になりましたが、父は帰還した時、
「まさか自分が秩父病院を継承することになっているとは思ってもいなかった」
とその時のことを振り返っていました。建物としては、父が赴任した時のものが、2代目、父が3代目の病院を建て、その後、何度も増改築を重ね、現在の宮側町の旧秩父病院となったわけです。
今回新築された病院は4代目ということになります。
以下簡単に病院の歴史を整理してみました。
明治20年 | 秩父医院設立 橋本章英 初代院長就任 |
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大正6年 | 橋本章達 2代目涯完長就任 |
大正12年 | 2代目病院新築 |
昭和12年 | 花輪吉夫 3代目 院長就任 |
昭和23年 | 秩父病院開設許可 |
昭和24年 | 8病室 20床 |
昭和37年 | 増床 16病室 36床 |
昭和40年 | 救急告示病院 |
昭和44年 | 医療法人花仁会 秩父病院開設 18病室 42床 |
昭和45年 | 3代目秩父病院新築 以後計9回の増改築を行う |
昭和51年 | 二次救急輪番システム開始 |
昭和60年 | 低位前方切除術に器械吻合を導入 |
昭和61 | 人間ドック業務を開始 |
平成2年 | 花輪峰夫 4代目院長就任 食道空腸吻合に器械吻合を導入 |
平成4年 | 腹腔鏡下胆嚢摘出術開始 増床 26室 52床 |
平成9年 | 創立110周年記念祝賀会挙行 『秩父病院百十周年記念誌』発刊 |
平成12年 | 『秩父病院だより』創刊号発刊( 秩父病院だより>> ) |
平成16年4月 | 日本病院会 日本人間ドック学会 人間ドック健診施設機能評価 認定施設 |
平成16年5月 | 財団法人 日本医療機能評価機構 認定病院 |
平成18年 | 新臨床研修医制度による初期研修医の受け入れ開始 |
平成21年5月 | 財団法人 日本医療機能評価機構認定更新 |
平成21年6月 | 病院移転構想着手 |
平成22年2月27日 | 新病院地鎮祭 / 3月着工 |
平成22年4月 | 日本病院会 日本人間ドック学会 人間ドック健診施設機能評価 認定更新 |
平成23年3月8日 | 新病院開院 26病室52床(全床:一般病床) |
平成23年6月1日 | 旧秩父病院に柞の杜クリニックを開院 |
平成24年2月 | 緊急時輸血用血液を当院に備蓄開始 |
平成24年12月 | 秩父病院ホームページ更新 |
平成24年12月 | 後期研修医の募集を開始 研修プログラムの作成 |
平成25年6月 |
採血室改修工事 臨床腫瘍科の開設(計13標榜科目となる) |
平成26年1月 | 柞の杜クリニック解体工事開始 |
平成26年2月 | 記録的な大雪、100センチ |
平成26年4月 |
(財)日本医療評価機構 病院機能評価更新審査3回目 日本プライマリ・ケア連合学会後期研修プログラム認可 |
平成26年9月 | 花輪峰夫院長 厚生労働大臣表彰 綬章 |
平成26年11月 | 花輪峰夫院長 埼玉県医師会救急慰労功労賞 授与 |
平成27年3月 |
人間ドック 健診施設機能評価更新 審査受診 歯科口腔外科の開設(計14標榜科目となる) |
平成27年9月 | 日本医科大学付属病院医療連携支援施設登録 |
平成27年10月 | 院内保育園完成、業務委託にて運営開始 |
平成28年2月 | 診療科目、矯正歯科追加 |
平成28年4月 | 埼玉県歯科医師会がん患者歯科医療連携合意 |
平成29年3月 |
新専門医制度申請完了(13プログラム) 埼玉医科大学国際医療センター救急部との画像転送装置開始 |
平成29年5月 |
内視鏡センター開設 矯正歯科の開設(計15標榜科目となる) |
平成29年12月 |
埼玉県立循環器・呼吸器病センター連携医療機関登録 初期研修医、秩父地域研修協定締結(市立病院、小鹿野町立病院、秩父病院) 日本消化器病学会専門医制度施設認定 |
平成30年4月 |
東京歯科大学水道橋病院医療連携協力医療機関登録 埼玉医科大学医学部臨床実習指定学外施設認定 |
平成30年7月 | 日本プライマリ・ケア連合学会後期研修プログラム更新申請 |
平成30年11月 |
秩父病院130周年記念誌の完成 第10回秩父病院医療連携会:130周年記念(秩父農園ホテル) |
平成31年1月 | 職員駐車場(30台)完成 |
平成31年2月 | 日本医療評価機構 病院機能評価更新審査4回目 |
明治20年9月25日の秩父病院開院式で、県知事代理として衛生課長が朗読した祝詞が現在も保存されています。
秩父病院新築功ヲ竣ヘ茲ニ本日ヲ卜シ開院ノ式ヲ擧グ不肖年祐我縣知事閣下ノ命ヲ奉シ此式場ニ臨ミ有志者其他ノ諸君ト相見ルノ榮得タリ抑本郡ノ廣袤タルヤ凡ソ管下三分ノ一ヲ占ム然レドモ其地勢タルヤ山岳重畳ニシテ大宮小鹿野吉田等人家連擔ノ地ナキニアラズト雖モ其他ノ人家ハ山間ニ散在シ其人口六萬八千二百有餘ニ居ル而シテ開業醫員ノ數ヲ算スルニ僅ニ三拾餘名ニ過ギズ人口ニ比例シ實ニ尠ナシト云ハザルベカラズ是ヲ以テ不幸疾病ニ罹ルモノアルモ療養施術ヲ受クルノ途ニ乏シク天然ノ常性ナル健康体ヲシテ一朝疾病ノ變ニ逢ヒ往々非命ノ死ヲ至ス者ナキニシモアラズ實ニ通歎セザルベケンヤ顧フニ曩ニ新道開鑿成リテヨリ昔時東京横濱等ノ往復ニ數日ヲ費セシモ今ヤ一日ニシテ往復スルノ便ヲ得随テ人事ノ交通亦甚シク本郡ノ物産工業モ亦將サニ隆盛ナラントス斯ノ如キハ開明進歩ノ利益ナリト雖モ利害相伴フハ世事ノ免レザル所ニシテ未ダ曽テ本郡ニ流行セザル乕列拉病ノ如キ昨年ハ既ニ侵襲ノ害ヲ蒙ムルニ至レリ豈ニ恐レザルベケンヤ是乃チ有志諸君ガ見ル所アリテ茲ニ此ノ壮麗ナル病院ヲ新築シ前ニ所謂人体常性ノ變ニ出ヅル病者ノ困苦ヲ救ヒ郡内ノ公衆ヲシテ天壽ヲ全フセシメントス最大無上ノ美擧ト云ハザルベケンヤ仰キ願クバ本院ヲ永遠ニ維持シ郡内開業醫員ト相互ニ氣脈ヲ通ジ以テ公衆ノ信用ヲ得殖産興業ノ原資ヲ発揚スベキ身体健康ノ目的ヲ達センコトヲ聊カ蕪言ヲ陳シテ祝詞トス
明治二十年九月二十五日衛生課長埼玉縣属 飯田年祐