秩父病院での研修を終えて

2018年10月

「綺麗な建物だな」
これが最初の印象だった。朝、家を出てからどんどんと山道を走っていると、人気を感じなかった。
少し不安になりながら見えた建物は、木の温もりのある病院だった。
この4週間は大げさでなく、医師になってから一番心に残った1ヶ月だった。
たくさんの症例を経験した。内視鏡も外来も手術も、自主的に学ぼうとこんなに思ったことはなかった。

なぜそう思えたのか。
忘れられないひとりの患者さんがいる。大腸癌末期でリンパ管に転移があり、呼吸苦を訴えている40代男性だった。さまざまな治療を受けきって、Best supporting careとなっていた。とても若く、子供も小さかった。入院時指導医が妻にムンテラをした。
「1週間以内だと思ってください」
なんて酷なムンテラだろう。私はそう思った。妻は涙を流した。
私は末期の癌の患者を看取ったことはなかった。なぜなら大学病院ではこれ以上の根治的治療は困難だと判断すると、近医へと紹介し、引き続きの加療をお願いするからだ。大学で私は末期癌の患者さんの紹介状を何度も書いた。

経験がないのを言い訳にするわけではないが、モルヒネの量の調整は難しく、ほとんど指導医の先生にしていただいた。 私にできるのは患者さんに会いに行って、お話をすることだけだった。 会いに行くと、「ちょっと辛いですね」「もう少し量を増やせませんか?」と他の患者さんと同じように話す。 私は「上級医に相談しますね」としか言えなかった。 気丈に振舞う彼に私は何も言えず、ただただ会いに行って挨拶をしてそんな会話をするだけしかできなかった。 彼は指導医のムンテラ通り、1週間以内に亡くなってしまった。私の出勤していない日曜日だった。どんな気持ちだっただろう。 まだやりたいこともあっただろうに。最期の時家族はどんなことを思っただっただろうか。 なにかもっとできることがあったんじゃないか。彼が亡くなってからもずっと考えている。もっとモルヒネの使い方を勉強したい、 もっと末期癌患者さんにかける言葉を勉強しよう。 自分の学びが患者さんに直結するとこれほどまでに実感したことはないし、それが今月の自分の動力源だった。

秩父病院での研修は医療だけでない。 院長先生にはお休みの日に武甲山登山に連れて行っていただいたり、週に何度かは外科の先生方に美味しいお酒をご馳走になった。 他病院の研修医とともに学んだことも刺激になった。ベテランの看護師さんに手技を教わったり、技師さんにエコーを習ったり。 毎日が充実していた。 この1ヶ月で1番学んだことは患者さんに寄り添う医療とはなにかということだ。 相手の立場になって考える姿勢を先生方から教わった。これから大学で紹介状を書くとき、先生方の顔を思い浮かべながら書くと思う。 山間の川沿いにある約50床の病院は、建物だけでなく心の温かい人たちが働いている病院だった。